“あや”のようなもの |
落ちた枝をしばらく乾燥させ、短く切り揃えた。
子供を見てもどこの家の子供かわからなくなったとはいえ、まだ人の移動の少ない地域ならではの気遣いかもしれない。
昔はこんな付き合いはすべて母親がしてくれていたが、今は自分でしなくてはいけない。
私の性格からして非常に苦手である。
とはいえ、慣れてくると日常がすこし豊かになったように感じる。
一方からの視点で物を見るのではなく、他人の視点も気にする。
この程良い距離感からくる“あや”のようなものが、暮らしに奥行きをつくるのでしょう。
あいにくの天候とあって、洗濯物を外に干している人は誰もいない。
焚き火をしても、叱られることは無いかな。