父の縁側、私の書斎(壇ふみ 著) part2 |
「戦後、日本人が失ったのは縁側である」縁側に 「外に向かって、ゆったり、温かく開いている」 という 「こころのあり方」の意味をも持たせています。
正確な言葉は忘れたが、森繁久弥さんが確かそんなことをおっしゃっていたように思う。縁側そのものよりも、むしろ縁側の文化、つまり人の心にある縁側を惜しんでいらしたのではないだろうか。縁側には玄関ほどのよそよそしさ、ものものしさはない。勝手口のような、せわしなさもない。外に向かって、ゆったり、温かく開いている。 (こころの縁側)
縁側の起源はよく知りませんが、少し前(私がこどもだった頃)の家では、座敷と庭の緩衝地帯のような、別に何に使うでも無い、普段は座布団が干されている場所 といった感じでしょうか。たまにおばあちゃんが裁縫してたり、腰掛けて近所の人と話をする場所でもありました。
日本の家屋にはこのように「曖昧な空間」が存在し、この外に開いた「曖昧な空間」があることが日本家屋を特徴付けてもいます。
計画中の「新しい展示場」には、ダイニングの延長とも和室の延長ともいえない、この「曖昧な空間」を設けています。現代の縁側ですね。